葉山と秋谷にまたがる峯山に暮らす矢谷左知子(やたにさちこ)さん。自宅から延びる道の先には長者ヶ崎の海が。朝日、黄昏、月の光、そして漆黒の闇…… 一度として同じ景色と出合うことはないという。
ライフスタイル
2020.05.25

葉山に豊かな暮らしを訪ねて②

撮影=小林廉宜
文協力=神﨑典子

 

多様な植物たちが共生する聖域を未来へ受け継ぐ、守り人として
――矢谷左知子

葉山・峯山の中腹の竹藪に囲まれた一軒家での矢谷さんの暮らしは、鬱蒼と茂る庭の植物たちの観察から始まった。人工的に整備するのではなく、自然を自然に任せるための観察。「様子をよく見て、旬の主役が引き立つように少し手を加え、あとは草花たちの繁殖に任せました。3 年目くらいからでしょうか、草むしりなどしなくても、もとからあった多様な植物たちが共生・調和を始めたのです」。


国道脇の階段を50 段、さらに緑が茂る急な坂道を登ったところにある矢谷さんのご自宅。入り口には「草舟 on Earth」と書かれた素朴な看板が。

もともと野生の草から糸を紡ぎ、染め、布を織る作家として活動していた矢谷さん。山に入り、体を使って草と向き合い、草が自分の中を通って次の形になるのが面白くてしかたなかったという。「けれど私にとっては、そういう草とのやり取りが大切で、作品はその結果でしかありませんでした。だから染織家と呼ばれることに次第に違和感を持つようになり、今は作家活動をお休み中。この環境の中で草にアプローチすることで、その先になにがあるのかを探求する日々です」。


峯山エリアの原生の木が残る庭。木々の間から海を望む、風通しのよい空間。

山に入るときは地下足袋姿、いいなと思う草があったらそのまま崖をひょいひょいと登る。山で切り出した竹もすべて自分で担いで自宅まで運び込む。その不便さがいい、と気持ちよさそうに笑う。「夜は本当に真っ暗ですが、満月の日は月明かりに海が照らされて神秘的な、異次元の世界が広がります。こんな世界が残っているなんて、と今も毎日驚きと発見の連続。慣れることはありません」。


左:独自の方法で野生の草から糸を紡いでいる矢谷さん。写真は葛や苧麻(ちょま) の糸。右:ドクダミの花や月桃、ビワの葉をリカーに漬け込んで作った自家製の化粧水や万能薬。手前の小瓶はハコベと塩と重曹で作った天然歯磨き粉。

現在、定期的に開催している「草講座」は、参加者とともに草を使ったお弁当やお菓子をいただきながら草の話をしたり、糸作りのワークショップを楽しんだり。ここで半日を過ごせば、野生の草が語りかける何かに気づけるはずだと矢谷さんはいう。「これだけ多様な植物たちが調和を保ちながら共生しているこの庭は” 聖域” だと感じるのです。自分の庭というよりもみんなに開かれた場所で、一時期私が預かっているだけ。守り人としてここに暮らしている感覚なのです」。


草講座でふるまう特製草弁当。庭で採れた野草や地元産の野菜などで作られている。里芋のコロッケ、ハコベと新ニンジンのパスタサラダの豆腐マヨネーズ和え、よもぎごま豆腐など、大地のパワーがぎっしり。

 

やたに・さちこ
「草舟 on Earth」主宰。草について学び、草から糸を紡ぐワークショップ「草講座」を開催している。現在は宮古島の在来馬で沖縄県の天然記念物「宮古馬(ミャークヌーマ)」救援活動に尽力。

 

<この記事は家庭画報国際版2019年春夏号より抜粋。>