- 伝統
- 2020.12.17
シーラ・クリフと絹織物の里を巡る―1
1300年も前から、高級絹織物の産地として有名な京都府北部の丹後地方。きものの生地・丹後ちりめんの産地として知られ、2020年に創業300周年を迎えた。長い歳月を経ても昔と変わらぬ伝統と技法を守り続け、時代の変化とともに新たな挑戦にも踏み出している。
そんな丹後ちりめんに注目をしているのが、イギリス人のきもの研究家、シーラ・クリフさんだ。今年、丹後織物工業組合のアンバサダーに就任し、その魅力を国内外へと発信している。きものを愛するシーラさんと共に、個性豊かな工房を訪ねた。
戦後から続く伝統の白生地づくり
1960年代、高度経済成長期の丹後の町といえば、あちこちに機屋(はたや)が立ち並び、町中に機を織る音が鳴り響いていたという。なかでも、網野町浅茂川(あみのちょうあさもがわ)は最も機織が盛んなエリアだったが、今では残る機屋はたったの数軒になってしまった。それでも、昔ながらの家屋が残る街並みを歩いていると時折聞こえる「ガチャンガチャン」という機の音。吸い寄せられるように辿り着いたのが、1949年創業の田勇(たゆう)機業だった。
シーラさんは「丹後ちりめんが、和装業界を支えていると思います。きもののベースとなるのは絹の白生地で、そのほとんどが丹後で作られていますからね。ここ、田勇機業も第二次世界大戦後からずっと変わらぬ手法で、高品質な生地作りにこだわり続けています」と話す。
工房で出迎えてくれた社長の田茂井勇人(たもい・はやと)さんが、広い敷地内を案内してくれた。「丹後ちりめんの一番の特徴は、経糸と約3000回もの撚りをかけた緯糸を、交互に織り込むことで表面に生まれるシボと呼ばれる凹凸でしょう。田勇機業では、緯糸に撚りをかける工程から、生地を織上げるところまで、すべてを一貫して行っています。」
すべて機械を使っての作業に見えるが、至るところで人の手が必要になるという。たとえば、工房で最初に行われる「糸繰り」と呼ばれる作業では、絶妙な張力で生糸を糸わくに捲き取らなくてはならない。そのため、熟練の職人が指先の感覚を頼りに微調整をしているという。ほかにも、撚糸や織りの工程で糸が絡まったり、切れたりしないよう、常に人が目を光らせているのがわかる。
最近では、和装業界だけではなく、海外のインテリアブランドや大手メゾンからもテキスタイル製作のオーダーを受けるという田勇機業。「きものを着る人が減ってしまい、白生地の需要も減ってきています。しかし、白生地作りの技術は日本が誇る伝統のひとつとして、新たなフィールドでも認められることを祈っています」と、シーラさんは戦後から奮闘する工房の今後の活躍にも期待しているようだ。
日本最古の技法で絹糸を紡ぐ
京丹後市の南東に隣接する与謝野町。美しい自然に囲まれたこの町で、ユニークな絹織物に出会った。風情のある古民家で工房を営むのは、佐橘登喜蔵(さきつ・ときぞう)さんとその奥さま。
「とても珍しい絹織物です」とシーラさんが賞賛する通り、全国でも3軒ほどしか生産者がいない「ずり出し紡」という技法で織物を作っている。通常は繭から紡いだ糸や、織った反物を染めるが、ここでは工房の周辺で採れる草花で色染めをした繭から直接糸を紡ぐ。すべて手作業で行うため、きもの1着分の糸を紡ぐだけで20日ほどもかかるという大変な手仕事だ。
「自然のもので染色しているため、その時々の唯一無二の色合いになります。また手で糸を紡ぐからこその温かみや風合いがあるんです。登喜蔵さんが作る織物には機械や化学的なものでは出せない魅力がありますね。」糸を紡いでから、さらに手織りに20日間ほどかかるという登喜蔵さんの作品。とても丁寧なもの作りを見ることができた。
田勇機業
京都府京丹後市網野町浅茂川112
Tel. 0772-72-0307
http://www.tayuh.jp
登喜蔵
京都府与謝郡与謝野町後野1147-2
Tel. 0772-42-2552
https://tokizo.jimdofree.com
シーラ・クリフ
1961年生まれ。イギリス出身のきもの研究家。1985年に来日した際にきものの魅力に惹かれ、以来日本に在住。現在は十文字学園大学で着物文化を教える傍ら、丹後織物工業組合のアンバサダーとして、丹後ちりめんの魅力を国内外に向けて発信している。
撮影=伏見早織
最新号
2021 Spring / Summer