左・「パート・ド・ヴェール」技法を使用した飯塚亜裕子さんの大鉢。右・高度なカットワークを用いた中村敏康さんのグラス。
デザイン&プロダクツ
2020.07.17

うるわしのガラス器
―新時代の到来

ガラスは不思議な存在だ。透明、半透明、不透明、薄くやわらかく繊細にも、厚く直線的で重々しくもなれる。紀元前の作品が今なお残るほど、劣化・風化に強い材でありながら、簡単に砕けるほど脆くもある。変幻自在なガラスに、国内のガラス作家たちの才能が立ち向かい、今世界で大きな注目を集めている。

 

ガラス作家たち・新世代
文=井上典子

日本のガラス工芸界が今、面白い。どこにも似通ったもののない、独自の扉が開かれつつある。

実は少し前までガラスは、国内の工芸界では異端であり少数であった。教育機関もほとんどなく、陶磁器や漆器に比べれば、マーケットサイズも驚くほど小さい。作家といえる人も少なかった。しかし20 年くらい前からぽつぽつと手がける人が増え始め、さらにこの5、6 年で一気に新風が吹き込んでいる。欧州や米国の技術を習得したうえで、まったく別の角度からアプローチするような、日本人の感性で自由に表現した作品が目立ってきたのだ。


橋村大作さんの浅鉢。氷裂状の割れ目を作り、再び焼きなおすアイスクラックという技法を使用。16 世紀頃に生まれた技法で、厚手で重量感のある美しさに定評がある。

暮らしの器にも同じことがいえる。新しいデザインの切子、厚手で端正なアイスクラック、軽やかなパート・ド・ヴェール、高い技術を要するレースガラスなど、次々と華のある美しいガラス器が現れ、しかも料理を盛る器としての「用の美」をきちんと備えている。器に関して独特な歴史文化を持つ、日本独自のものがようやく生まれてきている。これこそが、ガラス器の新時代到来といえる所以である。

こうした流れの背景には、公の教育機関や施設の充実のほか、陶磁器に比べて歴史が浅いがゆえに、伝統的意匠にとらわれない自由さがあげられる。いくつかの技術を組み合わせて新しい表情をつくり出す作家や、陶芸・漆芸・染色など異なるジャンルのキャリアを有し、今までにない手法や形を生み出す作家など、「かくあるべき」という縛りがないことが、彼らの才能を開花させたのだ。


飯塚亜裕子さんの大鉢は、自然に溶け込む野の花の装飾が美しく、夏のガーデンパーティにも最適。ドレッシングを入れているのは東敬恭(ゆきやす)さんの片口鉢。軽くて注口(そそぎくち)がシャープ。水ぎれもよい。

美しさを生み出す作家の技量とは「造形」、「技術」、「コンセプト」、そして「センス」。そのそれぞれに優れ、かつ全体のバランスがとれていることだと私は思っている。技術が素晴らしいからといって、必ずしも美しい器になるわけではない。美しさの背景には確かな技術の裏づけがあるのだが、それに加え今人気のガラス器には、どれにも一目見て引き寄せられる強烈な吸引力や、説明を必要としない感動、洗練された趣味のよさが漂う。思わず手にとってみたくなる、盛りたい料理が浮かんでくる、見たことのない新しさに心が躍る。


加倉井秀昭さんのボウル。レースガラスという手法で、格子の間に規則的に気泡が入った緻密なデザイン。

ものの溢れる時代に生まれ、美しいものに囲まれて育った気鋭の作家たち。ガラスに惹かれ、使えるもの、使いたいもの、そして美しいものを目指す作家の奮励努力が、今後も私たちの食卓を豊かなものにしてくれるに違いない。


塚田美登里(つかだ・みどり)さんが、自然の中にあるレースのような表情をくみ取り、銀や銅の金属箔の焼付け温度を研究することで、複雑な色や泡の表情を作り上げた「ナチュラルレース」の作品。

 

井上典子(いのうえ・のりこ)
女性誌の編集者を経て、リビング分野の企画・プロデュース業へ転身。2000 年にガラスを主とする「ギャラリー介(かい)」を開くも、2008 年に惜しまれながらクローズ。現在はフリーランスで作品展の企画プロデュースや、ガラス作家たちの教育を行っている。